ふと、指を止め、ぼんやりと見つめる視線の先には
動きを今にも止めそうな心臓があった。
よく見れば、ポチエナの目からは光が消え失せぐるりと白目を向き、
口からは大量の血と涎とともにありえない長さの舌が垂れ下がり、
顔は血やら鼻水やら涙やら唾液やらでべとべとになっていた。
優一はぼぅっとそれを見つめていたが、
目の前の事態を認めた瞬間、顔からさぁっと血の気が引いた。
「ポチ…?…ポチ!?ポチ!!!」
ポチエナの名前を必死で呼びながら混乱する頭の中で
ふと、浮かび上がるものがあった。
それは前に父が教えてくれた事で、
手術中に患者の心肺が停止したときの対処法だった。
その時は軽く聞き流し、父も簡単にしか教えてくれなかったが、
頼れるのは自分と頼りない自分の記憶しかなかった。
「えぇと、まずは、まずは、えぇと、
あぁっ!落ち着け!えぇと…
そうだ、心臓を動かさなくちゃ。」
震える手で小さな心臓を摘まむときゅっきゅっと刺激を与えつつ、
溢れ出た腸を押し込み皮膚を押さえた。
「えっと、つ、次は…
こ、呼吸をさせないと…」
血脂で濡れた手をポチエナの身体から引き抜き押さえながら、
あごを引き上げると鼻と口を咥えて息を吹き込んだ。
血と唾液塗れになった口を離し、拭う事もせずに
心臓を圧迫しつつ鞄の中にあった布でポチエナの身体を巻き、
これ以上血が流れ出るのを防いだ。
しかし、ポチエナの周りはすでに血だまりと化しており、
その身体からは急速に暖かみが失われていった。
「ポチ、ごめん…ごめんね。
ポチ…お願いだから、お願いだから死なないで…」
自分のしたことを悔やみ、自己嫌悪に苛まれながら
ポチエナを生き返らせようと必死だった…
〜※〜※〜※〜
「…それで、ポチはどうなっちゃったの?
死んじゃったの…?…ふぇ…ぅぅ…」
「綾音、泣かないで。ポチは死んでないよ。」
「ほんと!?よかったぁ…でも…何で?」
「まだ子どもだったパパから休んでいいって連絡をもらったのを
不思議に思ったお手伝いさんがパパの父さん――綾音のおじいちゃまだね――に
確認のために連絡をしたんだ。それですぐに帰ってきたから
ポチはすぐに治療してもらえて一命をとりとめたんだ。」
「…おじいちゃまにいっぱい怒られた?」
「まぁね。でも、怒られるのよりポチがいなくなる方が
ずーっと怖いから全然平気だったよ。」
「そっか…」
「その後ポチと仲直りして…前よりずっと仲良くなって…
ライバルには勝てなくても今まで通りで良いって分かったんだ。
それで、ポチは綾音の生まれるちょっと前に寿命で亡くなった。
最後までポチは幸せそうに天国へ行ったよ。」
「そか…ポチに会ってみたかったな…」
「そうだね…きっと仲良くなれたと思うよ…」
そう言って寂しそうに宙を見上げる優一に対し、
綾音は浮かない顔だった。
「ミュウちゃん…大丈夫かな…」
「大丈夫。だってパパが診たんだよ。」
「だから心配なの。」
「…綾音〜…」
よよよと涙を流す父親にえへへと笑って小さく舌を出す綾音。
それを見て、少し困ったような笑顔をしつつ安心した様子の優一の後ろから
伸びる黒い影から奇妙に明るい声が響いた…
「パ〜パ〜?こんな所で何してるのかしら〜?
ママは一生懸命パパの分もお仕事してるのに、
パパは綾音と遊んでるの〜?
ママも綾音と遊びたいのにちょ〜っとずるいんじゃない〜?」
顔は笑顔なのにどす黒いオーラが周りに漂い、
あるはずのない角が見えるように感じられる女性が
優一の背後からぬぅっと…
「…マ、ママ!?あ、あはは、はは…こ、これは、その…つ、つまり…」
「問答無用っ!!!すぐに戻ってもらうわよ!
綾音〜♪帰ったら“マ・マ・と”い〜っぱい遊ぼうね〜♪」
「あっ…ママ、違っ―――!」
コブラツイストからのヘッドロックをくらいながらも
しーっと人差し指を口に当て、ウインクをする優一に
綾音は口を閉ざし、その間に二人は去っていってしまった。
「…パパ、ありがとう…」
そう呟く綾音の目には涙が光っていた。
その後、ミュウは回復したが今までのことは綺麗に忘れており、
改めて綾音と仲良くなって三人と一匹で仲良く暮らした。
もちろん、綾音がポケモン医を目指したのは言うまでもない…
――めでたしめでたし――