今日は娘が他の研究棟の方に勉強をしに行ってしまったため、暇になってしまった。
娘は私の見込んだとおり乾いたスポンジが水を吸い込むように次から次へと覚えてゆく。
おかげで私が教えるべき事は実習のみとなってしまったのだ。

折角なので、ポケモンの耐久実験を行っている同僚のほうに見学に行くよう言ってしまったため
今日一日は仕事も無く暇な一日になってしまった。とりあえず、久しぶりの休みだ。のんびりすごそう。

外に出て空を見上げると雲ひとつ無い晴天だった。妻を失ったときも私の心とは裏腹に綺麗な青空だった。

その当時、私は単なる製薬会社の研究員だった。妻と共に裕福ではないが幸せな日々を過ごしていた。
しかし、突然幸せな日々に幕を下ろすこととなる。

その日は私の昇進祝いの飲み会があったため帰りが遅くなった。
仲の良い同僚と何軒も何軒もはしごをしてしまったため、最後の店から出ると太陽が昇り始めていた。
始発の電車に乗り、バスを乗り継ぎようやく我が家に着く。我が家は田舎の森の中にある。
通勤時間はかなり掛かるが環境は良く、家が無いため騒音に悩まされることも無い。
妻のお気に入りの我が家だ。バス停から家まで歩く間に言い訳を考える。妻の怒った顔が目に浮かぶ。

家の近くまで来ると狼のような鳴き声が聞こえ、
道を横切り、逃げるように慌てて山のほうに駆け込んでゆく動物の後姿が見えた。
不思議に思い、家に急いだ。胸騒ぎがする。ドアの前に立った。
いや、そこはドアだった物の前と言ったほうがいいか。
ドアの辺りは壁ごと抉り取られていて、ドアの近くにつながれていた鎖は断ち切られ、
その先にいるはずのラクライはいず、血と緑色の毛皮が落ちているだけだった。
家の中は薄暗かった。妻は出掛けていてくれと願うがうすうす感づいていた。
家の壁や床はところどころ焦げ、犬の足跡で薄汚く汚れていた…まるで妻との思い出が汚されるように。
台所。いない。リビング。いない。風呂。いない。トイレ。いない。ベッドルーム
…いた。もうそれは妻ではなかった。全身いたるところに火傷があり、引き連れた皮膚を見せていた。
片目は抉られ、暗い眼窩がぽっかりと口をあけていた。涙のように真紅の血の跡がついていた。
もう片目は目から飛び出、踏み潰されていた。頭は削られ、脳が少し顔を出していた。
ピンク色でプルプルしていてなかなか綺麗だと――その時にはすでに狂っていたのだろう――そう強く思った。
腕や足は食いちぎられ、落ちている食べ残された手足の傷口からは骨が見え、
筋肉が断ち切られた独特の断層が見えた。
腹は大きく裂かれており、内臓は外にぶちまけられ、半分以上が何者かに食われていた。
その中に何かうごめくものを見つけた。慌てて手に取ると赤ん坊だった。
妻は妊娠していたのだ。昨日の朝、大きなお腹を抱えながらもうすぐよと言っていたのが
遠い昔のことのように思い出された。すぐに救急車を呼び、外に行こうとしたところに
何かが落ちているのを見つけた。太く黒い毛が何本か落ちていたのだ。
その中でもひときわ長い毛が目に入り、こっそりポケットにしのばせておいた。

救急車で運ばれた娘はかろうじて助かったが危険な状態だと言われた。
他にも何か言っていたが悲しみと悔しさで頭がいっぱいで聞こえなかった。

救急隊員には家からは離れた所で娘を渡したので妻の姿は目に入らなかったようだ。
いぶかしんではいたが、娘の状態が状態だったのでそれどころではなかったのだろう。

家に戻り、妻の死体の傍らにひざまずく。
妻の血液は凝固を始める所だったので私が帰りついたときは死んだ直後だったのだろう。
私が昨晩の終電で帰っていればこうはならなかったはずだ。悔やんでも悔やみきれない。
私は妻だった肉塊をそっと抱き上げ、庭の片隅に埋めた。

ひとしきり涙を流した後、ふらふらした足取りで私が向かったのは会社の研究室だった。
着く頃には涙も乾いており、何も感じなくなっていた。

研究室に閉じこもり鍵をかけ、早速妻の死体のそばに落ちていた毛の持ち主、
妻を殺した犯人の解明に掛かった。一度もした事の無いことだったのだが警察に頼ろうとは思わなかった。
警察に行っても怪事件の一つとして処理され、犯人も死刑として首をつられて即死だ。
それでは私の気が済まされない。相手には妻以上の苦しみを味わってもらってから
じっくり殺されなければならない。絶対に。

解析の結果、短い毛はデルビルやヘルガーの毛だと判明した。
長い毛は…突然変異とでも言うのだろうか。計算すると小さくても体長
3mはあるヘルガーの毛だと分かった。

裏ポケモンハンターに頼み、傷つけないようにこの周辺で一番でかいヘルガーを捕らえ、
その群れの雑魚共は出来るだけ苦しませて殺してくれるよう頼んだ。
雑魚はともかく、頭だけは私がこの手で罰を下さなくては気がすまない。

プロがヘルガーを捉えに行っている一週間のうちに会社に辞表を提出し、家の改築を行なっておいた。
元通りに戻すだけでなく、地下室を増やしたのだ。
マジックミラーを取り付け、外の部屋から監視できるようにしておいた。
地下室の中には干し肉と水を大量に運び込み、
私が寝泊りする監視用の部屋にも布団や食料などを運んでおき、長期戦に持ち込めるようにしておいた。

裏ポケモンハンターは約束どおり、一週間後にヘルガーを連れてきてくれた。
やはりでかい。こんなのに妻が殺され、食べられたのかと思うと…

麻酔で眠り込んでいるヘルガーを地下室に運び込み、
会社から持ち出した病原菌を水と共に風船の中に入れたものを投げ込みすぐに扉を閉める。
空気感染をするタイプなので非常に危険だ。
自分で手を下すことが出来なくなってしまうのが非常に残念だが、苦しめ殺すという点ではなかなか良い。

マジックミラーのある部屋に向かい、中の様子を観察する。
かなり乱暴に放り込んだ上に、水風船がぶつかったらしく不機嫌そうに体を起こすところだった。
これからどんな風になっていくのかと黒い期待が胸の中で渦巻いていた。

投げ込んだ病原菌はコレラである。日本には1822年に持ち込まれ、「三日コロリ」と呼ばれて恐れられていた。

最初の二日間はなんともなさそうに水を飲み、肉を食べていた。
閉じ込められているのは不快そうだったが、食料があるのであまり問題はなさそうだった。
(人間では潜伏期6〜48時間)

次の日、だるそうにしていて動くのも億劫といった感じだった。
しかし、下手に刺激しても飛び掛られてお終いだ。それでは意味が無い。
妻の復讐が目的なのに殺されてしまうなんて茶番以外の何物でもなくなってしまう。
(倦怠感)

腹が減ったのか、餌のほうに移動するがそれも手足を引きずるように
匍匐前進状態でゆっくりゆっくり移動するだけだ。
(四肢が重く感じる)

今までは気にしていなかった地下室という環境が嫌になったようで
壁を引っかき、体当たりをし、角で突き、と思いつく限りのことをし始めた。
あくまでゆっくりとだが。角で突いているうちに角がぐらつき始めた。
本人はあまり気にしていないようで続けていると角が片方もげてしまった。
その時になってようやく取り返しのつかないことをしてしまったことに気づき、
一瞬きょとんとして落ちた角を見つめた後、激しい痛みに苦悶の声を上げた。
角のあった場所からは血があふれ、頭蓋が少し見えていた。
壁を引っかいていたため、爪は剥がれ落ちていた。
指先は血にまみれ、柔らかい肉が見え、まるで真っ赤なネイルアートを施したようにも見えた。
あばら骨は数本折れてしまったようで黒っぽい血を吐いている。内臓に刺さったようだ。
もうすでに体がぼろぼろになってしまったのでこのままぽっくり死んでしまうのかと不安になる。
まだ全然苦しめていないのにと。
しかし、まだふらつきながらも紅い目の光は消え去っていなかったので、
安心すると同時に再び憎しみが首をもたげた。
(不快)

腹痛にも悩まされ始めたようで水しか飲まなくなった。
干し肉は食べてもすぐに胃液と共に吐き戻してしまっていて、
雄雄しかった姿は骨が浮きで、奴が身につけている骨のようなものとあまり変わらなくなってしまっている。
腹を押さえてのた打ち回る姿を見て私がほくそ笑んだのは言うまでも無い。
(胃痛)

深夜、ぐぅおおぉおぉぉぉというような声がするので見てみると
米のとぎ汁のように白くにごった物をうなり声と共に排泄していた。
腸の壁が傷ついてしまった様で、中には紅いものが混じっている。
相当腹が弱っているのだろう。衰弱も激しく、排泄物の中でぐったりしてしまった。汚い奴だ。
(下痢、血便)

朝になると、もう口にするものは少量の水だけだというのに胃液を吐き出し続ける。マーライオンのようだ。
長時間、何度も何度も吐き続けた所為で歯は胃酸でぼろぼろになり、口の中も爛れてしまっている。
自分の出す火には耐えられるというのに同じく自分が吐き出す胃液には耐えられないとは。
不便なものだな。
(嘔吐)

下痢が特に激しく、二日間も垂れ流し状態が続き、もう出るものなど無いといった所で
びくびくと体を激しく痙攣させて亡くなってしまった。

いきなり監視室の扉が開かれた。そこに立っていた男が導くままに、
かろうじて命を繋ぎとめた娘と共に私が今いる研究所まで連れてこられた。
妻の復讐を果たした私はもう何も考えられない状態だったので言いなりだった。
男は裏ポケモンハンターから私のことを聞きだしたらしく、ゴースを使ってこっそりと様子を伺っていたらしい。
ポケモンに対して非人道的なことを行なえる精神力と薬品等に関しての知識を見込んで働けとのことだった。

妻を失った私にとって何もかもがどうでも良かったのだが、なぜか引き受けてしまった。
ポケモン全てに対して憎しみが湧いてしまったうえに、
ヘルガーの死ぬ間際の表情を見てなんとも言えない感覚が全身を支配したためらしい。
そして今に至る…

パパ、パパ、と声がし、揺り動かされる。目を開けると目の前に娘の顔があった。
すっかり眠ってしまっていたらしい。

大きく伸びをし、娘と共に研究室に戻る。またポケモンでの実験の日々が始まる。